最近、閑。をだらだらと見ている。よく目に付くのが「子供のころに祖父母にやさしくしてもらった思い出」だ。自分もおばあちゃん子なのでわかる気がする。母方の祖母は90近くで祖父と二人でまだ寝たきりにもならず、ボケもせずなんとかやっている。去年一時危ない所まで行ったが何とか持ち直し、最近はさすがにヘルパーさんに週1回掃除に来てもらっている。
その祖母の姉が9,10年前に亡くなった時のことを書く。詳しい理由はわからなかったが、彼女は独り身で自分の弟の家などの狭い部屋をもらってひっそりと生活していたようだった。よく彼女が親戚連中の間をたらいまわしにされたり、いい扱いを受けていないような話を祖母や母親が話していたのを覚えている。彼女は時々祖母の家に遊びに来ていて、僕が子供の頃は母親の健康がすぐれないこともあって祖母の家にいることが多かったので、いつも僕におもちゃを買ってきてくれた。同年代の友達が(祖母の家の周りには)いなかったので、僕はひとりでよくそれで遊んでいた。祖母の家に今でも保存されている時代を感じるおもちゃの大部分は彼女に買ってもらったものかもしれない。親戚連中が誰もタバコを吸わない中、彼女はタバコを吸っていたので、彼女が来ると出される灰皿や、その後ろのテレビで流れていた大相撲中継がやけに印象に残っている。彼女は世話になっている家で夕食を食べないことを気にかけていたのか、不思議と彼女と夕食を共にした記憶がない。いつも祖母や母親に引き止められながらも明るいうちに「じゃあね」と言って祖母の家を後にしていたような気がする。
そのうち中学、高校となるにつれ、僕が祖母の家に滞在する日数はいきおいへっていき、それにつれて彼女と会う機会もほとんどなかった。最後に顔を合わせた記憶もいつだか思い出せない。ある日、彼女が体調を崩して入院した、という電話を祖母から受けた。それから数日した朝方、祖母から電話が入り、祖母は小さな声で彼女の死を告げた。僕は「わかった」ということしかできなかった。なぜだか知らないが僕は彼女の通夜にも告別式にも行った記憶がない。もしかしたら浪人中だったからかもしれない。それからしばらくして親戚連中が集まったときに、祖母が彼女の残したものの話をした。「○○ばあ(彼女のこと)のね、死んだ後に残ってたものを整理したら、こんなものが出てきたの」それは、10センチ四方程度のピンク色のブロックを平面状に敷き詰めるパズルのおもちゃだった。テトリスのブロックのような形をした20個足らずのブロックを長方形の形に敷き詰める、というものだ。そしてそのブロックを納めておくプラスチックのケースの下には、そのブロックの組み合わせかたを書いた紙が敷いてあった。それを見て母親が「おばちゃん、それ書きながら何度も遊んでたんだねえ」というのを聞いて、泣きはしなかったがとても悲しい感情に包まれたのを覚えている。おそらく彼女の残したものはほとんど何もなかったのだろう。そしてそんな彼女に子供の頃にしてもらったお返しが何一つできなかったことを後悔した。
人が死んで残された人たちがその死に対する感情を喚起されるのは普通の生活に戻った後だろうと思う。その人の不在感が引き起こす何かや、その人の残した何かから生前の生活がうかがえたりしたときに、故人への思いがあふれてくるのではないだろうか。

今日は祖母の誕生日なので電話をしようと思う。